ジャカルタ(インドネシア)で駐在妻していました
今日は七夕ですね。ジャカルタで買ったこのバティック(ろうけつ染め)のタペストリーを今年は初めて1か月前から壁にかけることができました…。
インドネシアってどんな国?
東南アジアの赤道直下に位置し、東西5千キロにわたって大小1万以上の島から構成されています。
2億を超える人口(世界4位)の大部分がイスラム教徒で、一日に何度もアザーンというお祈りの言葉が町中に鳴り響きます。
公用語はインドネシア語です。インドネシア語はアルファベット表記で、長い単語がちょくちょいあるものの、いくつかの言語をかじった私の印象では、難易度はさほど高くないように感じます。
インドネシア人は本当にのんびりした国民だと思います。笑顔が優しく、良くも悪くも自分にも他人にも寛容。たびたび故障するエアコンの修理を依頼しても、まずその時間にはやってきません。その「日」に来ればいい方。
私は「まあいいや、そのうち来るでしょ」(何なら自分もたまに忘れるし)というタイプだからいいのですが、きっちりした方には辛いかもしれないですね…。
駐在妻って毎日何してるの?
私は仕事を休職して夫の転勤に帯同しました。休職制度ができたばかりでありがたかったのですが、当時は仕事を辞めてきた人も多かったため、初めは「休職中(日本に帰れば元の職場に戻れる)」ということは周囲には黙っていました。
そんなわけでジャカルタで仕事のできない(もともと働くにはビザ等諸々の手続きが必要だと思います)私に、娘の育休で最後だと思っていた長期休暇・専業主婦生活が再び訪れました。
駐在妻としては、たぶん一般的な(若干アクティブめ?)な生活をしていたと思います。
我が家は息子がジャカルタ日本人学校に通っており、スクールバスが6時過ぎにアパートに来るため、それまでに、そのあと出発する娘の分も一緒にお弁当を作ります。レンジでチンするれば一品できあがり!の冷凍食品は存在しないし(最近、高価ですが少しずつ入ってきています)、肉や魚も日本ほど種類が豊富ではないので毎日似たようなお弁当でした。
子どもを何とか送り出し、娘と朝食を食べているうちにメイドさんが来ます。
そして娘(インドネシア人がほとんどのインターナショナル幼稚園と小学校に1年ずつ在籍)を送り出したら7時半にはもう解放!
そのあとは日によって
★習いごと
★友達とランチ(私が8キロ太って帰ってきた元凶)
★エステ・マッサージ(マッサージ1時間1,000円とか!メディカルエステも格安)
★買い物(地元の市場に通っていたと昨日母に言ったら、超驚かれました)
をローテーションしていた感じです。
優雅ですよね、我ながら(専業主婦生活をほとんどしたことがないので…)。
でも逆にドライバーさんと車がないとどこにも行けないのはかなり不自由です。渋滞でいちいち時間もかかります。
そうこうしているうちに娘の学校が2時ごろ終わるので迎えに行き、その後は娘の友達親子と遊んだり、アパート内の公園で子どもを遊ばせつつ親同士おしゃべりしたり。
習いごとは、私はアンクロンという民族楽器、インドネシア語、バティック(写真のような←あんなに上手にはできませんが)を習っていました。
子どもたちはマンション内でテニスやお絵描き(先生が来てくれる)や、英会話やスイミング(アパート内にスクールがある)を習っていました。
良くも悪くも学校以外の時間は親子べったり。一度家に戻ると特に夕方はなかなかアパートの外には行きづらく(車が必要なことと治安上の不安から)、まさに籠の中の鳥状態でした。
スクールバスから降りてくる子どもを待ち受けて自家用車で公文に連れて行ったり(車で30分くらい)、学校に迎えに来る「塾バス」でそのまま塾に行って勉強して、見事合格を勝ち取ったご家庭には尊敬しかありません。
東南アジアの家って、広くてお手伝いさんとかいるんでしょ?
はい、そうです(笑)。我が家の場合、日本の家が狭いというのもありますが、アパートの面積は2.5倍くらいありました。なのに、日本にいた時のように一つの部屋に集まってしまう悲しい性。。
当初は、家の中に知らない人、しかもろくに言葉の通じないインドネシア人が入ってくるのに抵抗があったので、自分で大理石の床にモップ掛けをしたのですが、慣れていないので滑ってしまい…「2年間の限定だし、いいよねー」と、即メイドさんをお願いすることにしました。
運よく、
★日本人家庭で働いた経験が長く、日本食を作れる
★豚肉を使った料理を作ってくれる!(イスラム教は豚肉を食べません。触らない、豚肉を扱うお店では一切食事をしない人も)
★英語が結構通じる
という方が見つかり、食器洗い、部屋の掃除、洗濯をたたむ、食事の準備などを2年間お願いしました。休日に子どもの自転車を修理屋さんにもっていってくれたこともあったなあ。ちなみに週5回、1日4時間で8千円くらいです。
帰国するとき、「メイドさん連れて帰りたい!」って心底思いました。でも、日本は冷凍食品もあるし、断然便利なのでそう思ったのは初めの数日だけでした。部屋は確実に散らかったり汚れていますが(我が家の場合)。
ドライバーさんはリッチだから雇っているのではなく、ジャカルタの道は一方通行で信号もろくになく、みんな飛ばしているから運転できない(してはいけない)から雇っているのです。
電車や飛行機での旅行に行くときも駅や空港まで、スーパーにも学校にも連れて行ってもらいました。
「〇〇(スーパー名)に行ってください(省略形ではなく一応丁寧にplease的な言葉をつけて話していた私)」「はい、奥様」なんて、この先二度と言われないし、レジ袋を車まで運んでもらうこともないですよ。
帰国する日、空港まで送ってもらったとき、私は大号泣しました。何だか苦楽を共にした同士みたいな気がして(夫にはしょっちゅう借金を申し出て、給料から引かれていましたが←子どもがいるんだから資金計画はしっかりと!は通じない国民性)…。
帰国して2年が経ちますが…
二度とできないあの生活は今でもありありと思い出せるし、本当に楽しかったです。
絶対にたくさんあった細々とした嫌なこと、面倒なことは思い出せない(かすんでしまう)くらいです。
周辺の国で新型コロナの陽性者がどんどん増えている中、「自分たちは祈っているので罹らない」と言って検査をしなかった(できなかった?)インドネシア(今は人口に比例するように3万人を超えています)。
そんな「あり得ないよね!」なことが結構あり得てしまう憎めない国(コロナへの対応やテロなどに関しては別)。
「やればできる」真面目さは持っていると思うので、可能性は無限大の国のはずです。日本に来るインドネシア人も今後増えてくることでしょう。(今来られるのは、娘のクラスメートだったお金持ちの華僑の人など一部だけ)
これからもインドネシアが伸びていく様子を見ていきたいし、関わっていきたいので、結構忘れてしまったインドネシア語をオンラインスクールで勉強したり、ジャカルタ関連のボランティアに入っています。
他の東南アジアの国にも関心があるので、これから勉強していきたいと思います。
興味がある方がいたらぜひ情報交換させていただきたいです!